食べるということについて ~インプットとアウトプット~
※この記事をお読みになる前に『聖なる教え ~秘しておくべきこと~』をお読みになり、その次に『ボディータイプ ~体癖理論に基づくその特徴~』という記事の「5種」のところを読んでおかれると、この記事の底辺に流れている真のメッセージまできちんと受け取っていただくことができるかと思います。
すでにお読みになられた方は、このままお読みください。
先日は『ボディータイプ~体癖理論に基づくその特徴~』という記事の「5種」のところで、ペヤ○グの超超超大盛りを食べた話を書いたのだが、あの焼きそばは危険である。
私にとって、という意味においてだが。
あれを食べて以来、ペヤ○グの普通サイズが子供用サイズにしか見えないのである。
私は特にペヤ○グ好きというわけではないのだが、その超超超大盛りサイズを食べて以来、そちらの方が私にとっては適量の普通サイズに見えてしまい、そちらを晩酌後のシメの食事として食べたくなってしまうのである。
最近はスーパーでの買い物のたびに、その誘惑と戦っている孤高のスピリチュアル・マスター44歳・・・
神を手なずけ、悪魔を欺(あざむ)いてきたこの私でも、ペヤ○グ超超超大盛りGIGA MAXというこの新種の悪魔の誘惑には勝てないのであろうか・・・
酒と煙草を愛する私は、お菓子というものを自分で買ってまでしては食べないのである。
子供の頃からの習慣もあるのだろう。
だから、稀に晩酌後に食べるインスタント麺は、その代用なのである。
つまり、普通の人におけるお菓子的な楽しみなのである。
なぜなら、その味付けに使われている添加物のほとんどが、スナック菓子のそれとほぼ変わらないからである。
食感はさておき、その味においては、スナック菓子の基材がコーンやポテトなのに対して、インスタント麺の基材は麦であるというそれだけの本質的な違いなのである。
だから、私はインスタント麺をお菓子代わりに食事として食べるのが、ささやかな楽しみだったりもするのである。
私にとって、そのようなジャンク・フードというものは、食文化の一部としてならあっても悪くない。
ぬか漬けに玄米だけでは、味のバリエーションに欠けるのである。
それに私は食事をとること、つまり植物も含めた他の生命体を自身の身体に摂り入れること、すなわちインプットすることを現代科学が言うほどには重要視していない。
むしろアウトプットの方を重要視している。
やはり東洋人的な考え方なのだろう。
呼吸においても西洋的思考は酸素などを取り入れることを強調する。
「まずは、胸を広げてたくさん吸って~。プラーナをいっぱい摂り入れて~。」(笑)
あくまでもインプットが主で、アウトプットが従の関係なのである。
何かを手に入れることばかりだ・・・
奴らは、完全に頭の中の世界に生きているのである。
いわゆるエゴの世界の住人たちである。
東洋人にとっては、インプットもアウトプットも一連の流れである円なんだ。
ある観点からすれば、西洋的考えとは真逆とも言える。
呼吸という字にも、そのことが表されている。
吸呼(きゅうこ)ではないからね。
呼(吐く)が先で、吸(吸う)が後なんだ。
わざわざ力んで吸わなくとも、吐けば勝手に入ってくるというわけだ。
東洋には、
身体のことは、身体の知性に任せるべきである。
という古くからの知恵があるのである。
そんなわけで、私にとって玄米とはその味や食感もさることながら、アウトプットという体内の浄化作用においても、とても有用なものなのである。
玄米の胚芽の部分に農薬が貯まりやすいと言われているので、玄米を食べるなら無農薬のものが推奨されるわけだが、毎日の食費にそんなにお金をかけるわけにもいかないので、私は今では普通に作られた玄米を食べているわけである。
玄米から体内に入る農薬の心配よりも、玄米のその体内浄化能力の方が上回るように思えるからである。
食事においては、私はそんなに噛まない。
私は牛肉も焼かずに食べたいのだが、一応、表面だけは焼いて中は生で食す。
他人の責任は取れないので、おすすめはしないよ。
危険だから、焼いて食えと言われるが、当たったことなど一度もない。
身体が欲しているものをこちらが捧げている以上、身体が裏切るわけはないのである。
身体に備わる知性というものを私は信じているのである。
そんな生肉同然だから、噛むのも苦労するが、私はある程度噛んで味わったら、あとは飲み込んでしまう。
まずは舌で味わい、次に喉で味わうわけである。
あまり噛んでいないので、胃袋の仕事もきちんと残してある。
胃袋曰く、
「おい木幡、今日もありがとう!」
てなわけである。
噛めば噛むほど、消化酵素が節約できるなどといって、100回も噛んだりして胃袋の仕事を奪ったりはしないので、腹持ちも良いし、胃袋も丈夫に鍛えられている。
みんな仲良し、めでたし、めでたし・・・
しかし食欲がない時に噛まずに飲んだりすると、
胃袋曰く、
「何しやがんだ、この野郎! 俺は今、休んでるところじゃねぇか!」
というわけで、身体はすぐにその排出作業に取りかかる。
腸:「なんで、こんなもん送ってきてんだよ!?」
胃:「俺じゃねぇよ、木幡がよ・・・」
腸:「またあいつ、やりやがったな! これじゃ、ブラック企業じゃねぇか! 休む暇もありゃしない!」
胃:「まぁ、しょうがない・・・ 大至急、その受け取りとその排出の準備の方をお願いします!」
腸:「やれやれ・・・」
当然、そのつけは身体の不調として自分に返ってくるのである。
そういう時は、食べたくなくなるのが自然である。
少し食べるにしても、きちんと噛みたくなるはずなのである。
それが自然本来の在り方である。
私のような9種は野性が強いのでね、調理法も食べ方もワイルドなのである。
父からは、よくその食べ方を怒られたもんだが、決して下品な食べ方をしているわけではないし、それが9種の自然体なのだから仕方ない。
私は髭(ひげ)を剃ると、見た目だけなら中性的な、か弱い感じに見られることもあるので、始めて一緒に食事をする女性たちは、そのギャップに驚きながら、しばらくは私が食事をしている姿をただ呆然と眺めていたりしている。
9種の野性は、それくらいのインパクトがあるらしい。
料理を作る側や奢(おご)る側からすれば、私の食べっぷりは見ていて気持ちが良いらしい。
だから、決して下品な食べ方ではないのだろう・・・
食における過剰なインプットということについて話を戻すが、おそらくこれまでの人類の歴史のほとんどは、空腹との闘いの歴史であったのではないのだろうか・・・
常時満腹で過ごせるようになったのは、人類の長い歴史において、ほんの最近のことではなかろうか?
つまり長きに渡って、人類にとっては空腹が常態であったのではないのだろうか・・・
言い換えるなら、消化器官の活動が休んでいる時間の方が長かったと。
そのような歴史的背景から察するに、
人間の身体というものは空腹に対してはものすごく強くできているが、満腹という状態が続くことに対してはとても弱いのではないのか・・・
体重の増え幅が大きい人ほど、糖尿病や高血圧、心臓病、肥満関連のがんの発症率が高いという医学的データは、このことと直結しているのかもしれない。
重病患者に断食療法が効くと言われているのも、同じ理由に由来することなのかもしれない。
しかし食事には、生存のための食事、つまりエネルギー補給のためのものと、文化としての食事、つまり触れ合いの場としてのものや、作ったり食べたりする喜びのためのものなどもあるので、何が正しいとか、何が間違っているなんてことは簡単には言えないけどね・・・
ところでこの記事の冒頭文で、なぜ「ペヤ○グ」の「ン」という文字が今回は伏せられているのだろうかと、気になった方はいないだろうか?
そうなのである。
あえて伏せたのである。
私はバカではないのである。
つまり、
「ペヤ」の次に「ン」という文字が来ると、災いが起きるのである。
私には、それがはっきりと見える。
Googleのキーワード検索で「ペヤ○グ」と打ち込んだ時に、万が一、私の記事が上位表示されるようなことがあったらどうなるだろうか?
「焼きそば」と「スピリチュアル」とではジャンルが違うので、そのような確率は極めて低いと思うが、最近はこうして食べることなどについても書いていたりしているし、「第三の目」という超ビッグキーワードでの検索でも私の書いた記事が上位表示されるようになったことや、私のサイトに対するGoogle検索エンジンからの評価が上がり続けていることなども考えると、可能性としてゼロとは言いきれない。
もし万が一、「ペヤ○グ」や「焼きそば」というキーワード検索で、私の書いた記事が上位表示されるようなことになったら・・・
A子:「木幡等って人、たしか、なんかのマスターとかいう人でしょ。何かは忘れたけど・・・」
B子:「わたし知ってる! その人『ペヤ○グ』とか『焼きそば』とか『超大盛り』とかで検索すると、すぐ出てくるわよ!」
A子:「・・・ってことは、焼きそば屋のマスター!?」
B子:「いや。さっと読んだ感じでは、焼きそばの大食いチャンピオンって感じの内容だった。もしかしたら早食いチャンピオンか、その両方もしれないけど・・・」
てなことにもなりかねない。
そのようなリスクは排除しておかねばならない。
だから、この
『言葉による伝達』において、「ペヤ」の次に来る「ン」の文字だけは、絶対に秘しておくべきことなのである!!
なんのこっちゃ・・・(笑)
それでは、良い週末を・・・
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